今まで言わなかったけど、実はきまずうOSは「涅槃システム」です。
僕は「涅槃らしきもの」を経験し、自分の人生に深い納得感を得られました。もしかするとそれは「最高の幸せ」なのかもしれないと思う今日この頃です。自殺もしたくはないし、殺されたくもないけど、いつ死んでも笑顔でこの世を去ることができます。多分ね。まあ、死に至るまでのプロセスではあまり肉体的な苦痛を受けたくはないですけどね。
この「涅槃」というものに、誰でも向かえる具体的な方法を、構造的に残しておきたい。そんな気持ちで、様々なヒントを書き綴ってきました。
しかしまあ、皆さん「無明」について気づきそうにないので、そろそろ疲れてきました。自分の生活もほったらかしにしてきましたからね、色々苦しくなってきたのもあって「じゃあまあ、結構頑張ったし、そろそろいいかな」って思ってます。
「涅槃」と「第三の目」
「涅槃」の効果の一つが「第三の目」の獲得です。神秘のベールに隠されていると思われているこの目は、獲得できる方法があります。まあ簡単に言うと「言語」を捨てる事です。もう詳しくは言いませんが、仏教で言うところの「仏(人に非ざる)」は言語解釈を手放した人の事です。それは「無明」の原因である「言語(左脳)社会」から外に出て、「バイアスの無い視点から物事見る目」を持つこと。
釈迦・老子・ヨガの教えも、要するにこの「第三の目」の獲得が目的なのですが、その後の宗教やスピリチュアリズムを作ってきた人々さえも「無明の中」から覚者の教えを解釈して、受け取る側も「無明の霧の中」→「無明の霧の中」…そうやって本質が消えていく。今後はさらに見えなくなっていくでしょう。
日本の未来への唯一のシナリオ
資源も食料もない。国際競争力もない。あるのは過去の栄光だけです。
日本はこのままいけば、他国のご機嫌をうかがいながら細~く長~く?(長くないかも)、肩身の狭い、「老人ホーム」のような国として存続する事になるでしょう。
人生100年時代です。多少は長期目線で考えてほしいものですが、逃げ切りできる人たちにはそれでいいんでしょうね。中間層が転落し、国家の存続のための増税。未来の子供たちや若者はおそらく、「命をつなぐため」のさびしい一生を過ごす人が多くなるでしょう。もちろん、そんな中でも「喜び」も「幸せ」もあると思う。それはそれでいいのかもしれないです。
それでもなお、豊かな日本を目指すなら、あとは「無明」で覆い隠されている「可能性」の中から、発展の糸口を見つけるしかない。僕に見えているのはそんなところです。
未完成ながらもヒントは提示して来ました。あとはあなたが、そして日本が、受け取るか否か。僕から熱心にお勧めする事はもうないでしょう。
この文章を書いている最中でも、「もういいかなあ」「書くのやめよっかなあ」って思ってます。「涅槃ってどんな感覚になるのか?」とか…気が向いたら書きますね。