※この話は、あくまで僕の意見です。直線的な表現もありますが、ご容赦ください。
人間というのは言語という優秀な武器を持っています。
それは、基本的には左脳的思考モデルです。
ある条件(1~数十)をもとに、
そこから計算して解を導き出します。
当たり前でしょw
という声が聞こえてきそうですが…
右脳の思考モデルは、全く逆と言えます。
言語処理を軸に考えると、
理解不能な構造をしています。
右脳的な処理のイメージ
とっ散らかっているのに、
どこに何があるかなんとなく分かっている。
そういう人がいます。
こういう思考が右脳的思考です。
すべてが詰まった
「風呂敷袋」
を一気に広げて、
ぱっと目立ったものを拾い上げる。
そんな感覚なので、
どうしてそれが選ばれたのか、
とても理解しにくい感覚です。
カメラのレンズ
おそらくそれは、
モザイクフィルター的処理
を行っています。
しかも、
そのフィルターが多重層
ですので、
日常生活を言語によってフォーカス処理している僕たちには、
理解不能な感覚です。
カメラに例えれば、
あえて「ピントをぼかす」
という表現でしょうか。
とは言え、
ぼかし切ったら「無意味な世界」
になりますから、
一定のフォーカスを維持していると思われます。
そのフォーカスを完全に開放すると
「一つは全体、全体は一つ」
という感覚になります。
それはある種の安堵感をもたらしますが、
バランスのを失っている状態です。
そのバランスを維持し続ける事を
「中道」
と言います。
「ひらめき」や「勘」が当たっていることもしばしばあるでしょう。
そういう発想は、芸術やアートに生かされる傾向にあります。
何故か?
根拠がない(分かりにくい)ため、生活レベルでは信用しにくいからです。
全体感覚
また、
人間は「宇宙のはて」や「無限∞」という概念も理解できます。
実際にそういう言葉を使っていると思います。
これはすごい事です。
見た事のない、存在しないかもしれない物をも概念として「理解」
しているからです。
時にそれは「妄想」の引き金にもなるのですが…
それはさておき、
右脳処理ではその「無限の概念」さえも、判断材料になります。なぜなら「風呂敷袋」に入っているからです。
優先順位は(かなり)低めかもしれませんが、
判断材料としては活用されます。
ですから、
「思い付き」や「ひらめき」が、
どんな基準で選ばれたかが分からない。
だから、
「危険の回避」
や、
「状況判断」
に活用するのは気が進まないでしょう?
結果として、
芸術やアート・音楽
といった、
安全を確保した上での、ポジティブな世界の価値観
として定着してきたと考えられます。
神秘や魂・霊と右脳
引用:Wikipedia
右脳が活性化すると、
なんでも顔に見えるようになります。
これは僕も経験したのですが、
点が3つあると
「あ、顔だ」 ● ● ●
という判断が先行します。
木の節や、壁のシミなども一瞬「顔」に見えるようになります。
しばらくちょっと、
気持ち悪い感覚ではありましたが、
理由が分かれば大丈夫です。
では、
根拠が分からなかった昔の人はどう思ったでしょう。
闇夜に顔が浮かんだり、
蛍が悪霊に見えたかもしれません。
幽霊と思ったかもしれない。
そこにあるはずもない現象が、
一瞬もしくは継続的に目の前に現れます。
木材加工の仕事で、
木の節が少女漫画の顔にしか見えなかったことがあります。
何度見直しても
「キラキラお目目(´。✪ω✪。`)✧*。」
にしか見えませんでした。
右脳的な処理をしていたんだなあと思います。
右脳処理構造モデルを作ってみた!
もっと細分化出来そうではありますが、
見たまんまです。
言語表現が難しいレイヤー構造が予想されます。
第一弾なので、
実は途中でズレを感じたのですが、
一旦は完成させました。
次は出切れば、
フィルターレイヤーの言語定義にも挑戦したいです。
答えはないかもしれない。
だとしても!
挑戦してもいいですよねw
神秘の構造化
「無明」から抜け出す手掛かりになるはずです。