効果的な瞑想やマインドフルネスができてますか?
ストレス社会における、心のチューニング方法として定着してきた「瞑想」や「マインドフルネス」という考え方ですが、
その効果を
実感している方
そうで(も)ない方
がいらっしゃるのではないでしょうか。その原点はヨガ、というか…本来はヨガそのものの原点が「瞑想」なんですが、日本には肉体的な健康づくりを入り口として持ち込まれた経緯があり、ヨガというと独特のポーズを思い出される方が多いかもしれません。そのヨガの経典「ヨガスートラ」では、
「ヨガとは心の作用の止滅である」
と定義されています。要するに、
「心の作用」に何かの問題があり
「止滅」する事によって良い効果
が期待できるという事なんですが…
「心の作用を止滅」と言われてもねw
この辺りが誤解の元なんでしょう。「止滅」の解釈を「無心」「考えない事」と捉えると本質から遠ざかって行くように思います。その結果、形ばかりの「瞑想」になってしまう傾向があるような気がしています。結果として
なんか効果を感じられないなあ…
みたいな感じに。実はこの瞑想にも
「人間の普遍的な構造」を活用した「作用の仕組み」
があるんです。それを理解するにはまず、人間とは何ぞや?という事を分解する必要があります。
人間とは何ぞや?
皆さんは生まれた時から「しつけ」や「教育」というものを受けて来たのではないでしょうか。内容はどうあれですwその基本的な仕組みは
「何かに心(意識)の焦点を合わせる」
という、カメラのレンズで言うところのフォーカス(ピント合わせ)作業の訓練です。
それは集中力の訓練でもありますが、ある意味で瞬間的に視野を狭める訓練でもあります。時にそれはフォーカスをし過ぎて「緊張」してしまうなど、困った作用もあったりします。
フォーカスは結果として、「交感神経の働きを高める作用」があります。その、元々は動物的な「戦闘態勢」の状態を逆に人間的な教育に活用しているんです。
それは、人間という生き物の最大の特徴であり、忘れがちな「優位性」です。人間にとってはあまりにも当たり前のことなので、日ごろ明確には意識されてはいませんけど、
「意識のコントロールが可能」
だという事は「人間」の大きな特徴です。
人間の特徴「意識コントロール」
意識コントロールを説明するにあたって、左脳的思考・右脳的思考という縦分けを採用しています。
現在の脳科学においては、2つにハッキリと分解する事は「古い」らしいんですが、日常に活かす上では、この方が扱いやすいと思います。その意識のコントロールには2つの方向性があります。ぼくはそれを
「フォーカス(左脳的)」と「モザイク(右脳的)」
と呼んでいます。複雑化する社会において、現代人はあまりにもフォーカス状態が多く、そうする事が良い事だと「教育」されていますから当然なんですが、フォーカスの逆である「ぼんやりする」という意識を忘れがちです。この意識を僕は「モザイク的」だと考えています。
余談にはなりますが、この「モザイク」という言葉のルーツをたどると、「だからモザイクって言うんだなあ…」としみじみと納得できるんですよね。長くなりますので、それはまたの機会に譲ろうと思います。
この「モザイク的」感覚を忘れてしまう事がストレスの原因のひとつです。
今じゃない「過去への後悔」や「未来への悲観」に引っ張られ(フォーカスし)てしまう。
今考える必要がない事をしきりに心配する。
マインドフルネスにおいて「今ここの意識」という言葉がしきりに言われるのは、そういった原因があるのですが、「今ここ!」「今ここ!」って言われても分からないですよね?そういった、
フォーカスの癖
が問題視されているんからこその「今ここ」というわけです。「フォーカスの癖」は心が休まらない、休められないという負の連鎖を引き起こしています。だからこそヨガでは「心の作用」を「止滅」しなさいという教えがあるんですね。
睡眠への影響
僕自身は、この「モザイク思考」忘れてしまうと、睡眠中にもが影響あると考えています。睡眠中も緊張状態が続き、十分な休息・回復が行われず、翌日朝になっても疲労感が抜けない。そういった悩みをお持ちの方は少なくないと思います。みなさんはいかがでしょう。
「意識のコントロール」を2つの方向で考えるということ
この「意識のコントロールができる」という事はさきほど説明した通り、
現代人は本当に忘れがちです。
①フォーカス(左脳的思考)
(結果的に)交感神経の働きを促します。生物としての「戦闘態勢」を作ります。
②モザイク(右脳的思考)
(結果的に)副交感神経の働きを促します。生物としての「安心や安全」時に優位になります。
そのコントロールの方法として有効とされているのが「瞑想」や「マインドフルネス」というわけです。しかし、表面的な行法のみが語られていて、効果を実感している人とそうでない人の差が生まれている印象です。その本質的な作用の仕組みについて知っておくと、個々人に合わせたより効果的なチューニングも可能になると思います。
瞑想のステージ分解
では「悟り」たいのか?「仙人」になりたいのか?いえいえそこまでは求めていないですよねw
ひとまず、瞑想のステージについて3つに分解してみます。
①自分の感情と向き合いその根本原因を知る
ここで重要なのは「考え」ではなく「感情」であるという事です。
手前みそにはなりますが、「きまメOS」の中核にあるSBツリーは、そもそも、「365日24時間の瞑想を維持する」というコンセプトを元に考えてきました。多少は見たくない自分というものを見る必要がありますが…そうしなければ②の無心には進めないんです。
②無心になる
この「無心」という言葉も誤解されがちですが無心というよりは「無感情」と言う方が適切かと思います。一生ではないですよ。瞑想の時だけねw
①でその感情的な「不安」や「心配」の原因について咀嚼しておかないと、運任せの瞑想実践になりがちです。効果の継続的や応用的な活用も難しくなります。
①②これは要するに「フォーカスの癖」を解くためのものです。瞑想しているとふつふつと湧いてきませんか?「心配」や「悲観」、ついでに言えば「怒り」とか。ここで扱うのは「自動思考(無意識)」というのは人間が進化する前から持っていた、元々は動物的な機能です。この便利ですが厄介な機能を攻略する事はとても重要なファクターです。
③(フォーカスを解いて)モザイク的な思考状態に至る
要するに意図的に「ぼんやり」するんです。これが中々できないという実態はありませんか?このぼんやり状態を僕は「モザイク」と言っているわけです。①②を経て、やっとたどり着くんですね。
このモザイク的思考を身に着けるために、「意識を宇宙に向ける」などの表現が使われていくその果てに、なにやらスピリチュアルな匂いがしてきますが、本来は要するに意識をコントロールし、副交感神経方向のリラックス効果を高めるのが目的という事です。
宇宙でなくても良いんですよ。地球でも日本でもいい。感情が沸き起こりにくい領域まで意識を上昇させること・広げること。それは意識のコントロールとして、自分自身へのフォーカスをぼかし、モザイク的な感覚を作り出すという意味なんですね。これを「抽象度を上げる」と言います。
モザイク思考と抽象度の関係
そこで「抽象度」という用語が出てくるわけですが、モザイク思考とのつながりをあり「受容」「赦し」「愛」という副次的な効果の土台になります。これは高次元の意識などと言われていますね。実はそういう理由です。
「抽象度を上げる」事の重要性みたいなものがまさしく「抽象的」に語られてしまう罠があります。
ある意味でSDGsも「全体的な抽象度」を上げる効果を期待しているわけですが、決して世界平和のためだけではなく、自分自身の「生活」や「健康」「心の状態」のためにも、抽象度を上げるという習慣がが役立ちます。「個人の抽象度」を上げるのが、「モザイク思考」というわけです。
この関係性からして、生物学的にも「安全」、社会学的にも「安心」というものが、副交感神経を優位に働かせて、他者への「寛容さ」の土台になりうる事。この辺りも、なんとなくでも理解していただけるのではないでしょうか。
【おまけ】”条件付き”意識コントロール
「音楽ライブ」に行ったり、また「ダンス中」などにもこのフォーカスを外すという効果があります。しかしそれは、結果的にモザイク意識を作りますが、コントロールができません。条件付き「無心効果」と言えるかもしれませんね。
「旅行」や「レジャー」も日常へのフォーカスを緩めるという効果があります。これも日常との対比構造の中で起こる現象ですので、これも条件付きという事になります。
密教やシャーマニズムにおけるトランス状態は、モザイク思考状態を極端に求めたものです。
ちなみに「晩酌」や「飲み会」もプチトランス状態をつくります。これも条件付き意識コントロールのひとつです。副作用はあるみたいですがw
人間の意識と信仰や教え
こういった様々な要素が絡み合って、心と宇宙というものつながりについて表面的に分かりやすく実践方法を教えたものが一部の「信仰」として存在してきました。
宇宙や神とは要するに「最高の抽象度」を個々人が扱うための概念として設定されてきたという経緯があります。その本質はすでに「忘却」の彼方に消えてしまいましたが、脳科学や宇宙観測ができなかった時代に、「意識のコントロール」という人間の本質をとらえた行動指針を提唱したのが信仰や教えという事になるかもしれませんね。
当時の最先端「意識」科学が信仰だったのかもしれません。
まとめ的にきまずう(kimazoo)とは何ぞや?
「きまずう(kimazoo)」とは「うずまき」の逆さ読みです。
忘却の彼方へ消えてしまった本質への回帰を目指すという意味です。
複雑化する現代社会において、放置すればすべてが形骸化し、本質が失われていくという現在の正回転を逆回ししたい。
そういう思いがこもっています。現代社会は「左脳的フル回転」で進んでいます。それはバランスを欠き、社会の「忘却システム」を加速するという側面があります。
そのアンチテーゼとして右脳的なフル回転である「ワンネス(全ては一つ)」という思想が生まれました。それは社会がバランスを求めている証拠なのかもしれません。
しかし、それさえも形骸化し、形式化し、その表面だけが受け継がれていくをという「忘却システム」にはかなわないんです。それは人間の個のポテンシャルからしてやむを得ない現象ではあります。
「きまずう(kimazoo)」はそんな現代社会において、不要な人間機能を一部アップデートすることで、新たなステージへ進むための可能性を探す旅なんです。
🌀きまずう OS
私たちの思考や感情には、無意識の「構造」が潜んでいます。 きまメOSは、それらを可視化し、抽象度を上下させることで、新たな視点や選択肢を生み出す「思考の土台」です。 心理、哲学、社会、そして科学――分野を横断して使えるこのOSは、あなた自身の「気づき」の精度を高めてくれます。
👇詳しくは「きまずうOS 解説ページ」へ
※この記事で触れた概念や構造は、すべて「きまメOS」という“抽象度の自由な思考OS”によって支えられています。きまメOSは、感情の構造化から、哲学的洞察、科学的モデルの理解まで、さまざまなレイヤーで活用可能な柔軟な思考エンジンです。